芦田愛菜さんにみる読書の大切さ|広島市 家庭教師の本田

2018/6/3

芦田愛菜さんにみる読書の大切さ

 子役時代から注目されてきた芦田愛菜さんも今や中学生。 昨年難関の慶応中等部に入学したのは有名だ。 最近、『世界一受けたい授業』という番組が大会場でのライブショーになり、そこに博士役の八嶋智人さんらとともに主演したりして、依然活躍中である。

 そんな芦田さんの人間性、演技力はどうやって養われたのだろう。 彼女の言葉によれば、それは「本」だという。

 すごく読書が好きで常に本は読んでいて、本で知識を得てイメージしたものが積み重なって私の土台になっている気はします。 本の中では疑似体験というか、自分が主人公になりきっていろいろできるじゃないですか。 だから本の世界を頭の中で思い浮かべながら「もし私だったら…」といろんな妄想するのは好きですね(笑)

というのである。 「妄想」という言葉を「想像」に変えれば、これは、文学的文章を読む基本的な姿勢を示していると思う。 人生は一度しかなく、失敗は許されない。 でも、人間は機械と違い、間違う動物である。 読書は、そんな人間が、自分の可能性をいろいろ試してみる仮想現実の場になっている。

 芦田さんは、紅白歌合戦に7歳で出場したときも、バラエティ番組で史上最年少の司会をしたときも、ひょっとしたら、読書の中で、もう同様な体験をしていたのではないだろうか。 だから、史上初とか、こんなに幼いのに、といわれても平気なのである。 そんな本の読み方は、学校の国語の授業で、先生に指名されたくないなと思いながら読む受身的な読書とは全く違う。 もっと能動的で、読書体験をまるで自分の人生の一部にしてしまうような、強い気持ちに満ちたものとなっているだろう。

 ここまで述べたのは、小説や戯曲といった、文学的な文章の話であった。 しかし、論文や解説文といった、論理的文章は違うかといえば、そうともいえない。 論文や解説文にあるのは「体験」ではなく、「考え」「知識」である。 ある考えを自分のものにするには、信頼する人から聞いた、いろんな体験を経てたどりついた等の紆余曲折がある。 論文は、それを簡潔に提示してくれる。 「あっ、そうか」と思う考えもあれば、「ちょっと待てよ」と思う考えもあるだろう。 どちらにしても、時間と労力を経てたどりつくはずの思考のエッセンスに、非常に簡単にアクセスできる。 こんなことは、読書でなければなかなかできるものではない。

 学校の授業で教科書を読むのと変わらない、と考える人もあるだろう。 しかし、教科書は、ふつう絶対に正しい、覚えなければならないことしか書いてない。 ある意味では味気ない本である。 これに対し、世の中にはありとあらゆることに関する本があふれ、自分の進むべき道に大変なヒントを与えてくれる本も多い。

 本は、自分の問題意識によって選べ、と言われる。 一人ひとり考えることが違う。 自分が考え、悩んでいることに応えてくれる本があったら、読者はむさぼるように読みふけるだろう。 そのとき、芦田さんが「もし私だったら…」と妄想するのと同じ読書体験が、論文の世界でもできるはずなのだ。

家庭教師の本田

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