アラン|広島市 家庭教師の本田

アランの作品

人間論

・イタリア旅行から帰ったバイオリニストに「元気ですか」と言うと「ありがとう。おかげで音が狂いました」と答えた。 虚栄心の強い人はいつわりの徴でも満足するが、慢心した人は実際の力を喜ぶもののその力が永続すると考える愚に陥っている。 名声は保証ではなく、負担であり、朝ごとに始めねばならぬ強行軍なのである。

・童話の世界は全て魔法使いに依存し、問題はそれを操る人々の気に入られることだけだ。 じゃまものは老人か老婆に決まっており、ある決まった言葉でこれらの人物を説得する必要がある。 全ての大人が忘れさっていることを彼はいまにも思い出しそうになっている。 この深みの中にこそ、私たちの最も有益で健康的な組織が見出され、私たちは酸素を吸うことになる。 この奇跡的なものこそ私たちの最初の対象で、私たちはこれに対し、冷たい理性が消すことのできぬ好意を寄せるのだ。

・欲望は妥協するが、はずかしめは妥協せず、恐ろしいことの原因となる。

・改革者は絶えず怒りのうえに仕事を築き、保守主義者は疲労のうえに仕事を築く。 ここに、時を待つという政治的英知のほとんどすべてがある。

(2019/11)。

幸福論

・幼な子が泣いている時、乳母はその子の性質や誰々そっくりだなどというが、実はピンが原因だったりする。 同様に、誰も乗りこなせないあばれ馬ブケファルスがアレキサンダー大王に献上された時、王は馬が自分の影におびえていると気づき、 常に太陽の方を向かせててなづけたという。 第一次大戦も、作者によれば、要人が皆不意をつかれてびっくりしたことから起きたものだという。

・1週間の周期で「悲しいマリー」と「楽しいマリー」をくり返す女性がいた。 医者が調べると、1立方センチ当りの血球の多寡で状態が決まるとわかった。 厳しい状況や裏切り、不吉な予言などを原因とせず、血球の数が原因と思えば、ずっとがまんしやすいではないか。

・前項と同じだが、深い悲しみは肉体の病的状態の結果で、耐えるうちに安らぎの時がくると考えることだ。 がまんはやがて無意識の一種の麻痺状態に達し、心がおさまる、それは祈りに通じるものだ(ふさぎの虫)。

・受験生が突然おそわれる腹痛は、へまな答をしないかという心配が実際に、結果を先取りして表れるのだ。 用心するがゆえに、恐怖心が病気をさらに悪化させる。 だから、病気をまねるより健康のまねをすべきであろう。 礼儀正しく、親切に、微笑しつつ身を処することだ(神託の終わり)。

・首をくくろうとするならともかく、常人が死について考えると、どうしていいかわからない恐怖になすすべがない。 人は病気になることによって、病気なのではないかという恐怖から直ぐにいやされる。 何もせずに考えるやいなや、恐ろしくないものが何かあろうか?

・成功したから満足しているのではない。満足していたからこそ成功したのだ。 同様に自分でもいやになっている人間に出会ったらにこにこして見せねばならないし、眠りたいなら眠れると確信するがいい(不機嫌)。

・誰でも風向きや虫のいどころで不機嫌になるもので、そんな他人を許そうと思うなら、まず自分を許すべきだ。 何か兆候を探し、万事自分の方式で割り切ろうとする頑固さが、ほとんど大部分の精神病の原因である(性格)。

・誰も選択などせずに行動し、職業への適性は自然と環境とから生じるのだ。 生きるすべは、何よりもまず、自分のした決心や職業について文句を言わず、ちゃんとやってのけることだ。 「ああ、なぜ勉強しなかったのか」というのは怠け者の言いわけである。それなら勉強するがいい。 過去を当てにすることは、過去を嘆くのとまったく同じほどばかなことだ。 ミケランジェロは容易な生活を困難な生活とする意欲のために、何か学ぼうとして学校へ行ったときは、既に髪が真っ白だったという。

・予言的な魂は、半ば目をさまして、自分の夢をまた見直す。 カッサンドラは不幸を告げる。われわれはカッサンドラに不信をいだかねばならぬ。

・占い師には、未来を占ってもらわない方がいい。 「あなたは結婚され、お子さんが一人できますが、なくなられます」と言われた女性はどうだろうか。 若い時は何でもないが、結婚し、最近子供を生んだとなれば……。

・偶然の成功はよくない。神々を祝福する者はやがて神々を呪詛するだろうから(ヘラクレス)。

・想像のもつ力は強く、きみは戦わないうちから負けている。自分の手が届くところだけを見ていればいいんだ。

・「おれを迎えに来るんだろう。おれは指一本動かさないでいるぞ」という怠け者を私はたくさん知っている。 社会は何も要求しない人にはなに一つ与えない。要求というのは、たえずつづけて要求するという意味だ(野心家への演説)。

・金は金を大切にする人々のところへ行くものだ。

・ルナールの『にんじん』を読むと、物事の悪い面は目につきやすいものだと思う。 礼儀というものは赤の他人に対してのもので、機嫌というものは愛する人たちに対してものだ。 家庭の過度の信頼のため、ぶつ、罵るがきっかけで、一人の怒りが他の怒りを生み出し、情念が何倍かにふくれ上がることがある。 私は性格というものを信じない。王の気にいられようとして廷臣が不機嫌を抑えているうちにそれはなくなってしまう。 家庭に平和は、意志によって作られ、保たれる法の秩序のようなものだ。 結婚するからこそ、人は嵐を静め、結婚をよく保とうと自分に約束するのである。

・女性は妊娠や授乳といったふうに身体に依存することが多く、移り気、支離滅裂、強情などといった特徴をもつ。

・私たちに不足しているのは、他人からちょっと息抜きさせてくれる編み物のような仕事である。 金持ちたちが無数の義務や仕事を作り出しては火事場に行くように駆け回るのは倦怠に耐えられないからだ。

・賭けには希望という光があるが、保険には倦怠という監獄しかない。

・誰一人強制的な苦労は好まないが、自ら苦労するのに満足するのはスポーツ選手をみればわかる。 兵士は自分の求める運命を愛しさえすることを考えると、平和があるとすれば、正義を愛することの中にだけあるといえる。

アランの精神生理学にはニーチェと同質のものを感じる。

家庭教師の本田

その他のページ