ニコラス・カー|広島市 家庭教師の本田

ニコラス・カーの作品

グーグルはわれわれを愚かにするか?

私は最近10年くらい、以前平気だった長時間の思考や読書といったものに耐えられなくなってきた。 以前図書館で数日を要した調べものも、ネットで数回も検索すれば簡単に手に入る。 仕事以外でも、ネットサーフィンが当たり前になり、われわれは2-3ページと読まないうちにリンクをたどって次のサイトへ向かう。 以前の私がスキューバダイビングをしていたとすると、今はジェットスキーをしているようなものだ。

私の回りには、最近本を読まなくなったばかりか、ネットの3-4パラグラフ以上読むのに耐えられなくなった人々が多い。 ロンドン大学の調査によれば、サイト来訪者の読み方は従来のそれと全く異なり、流し読みが普通になったという。 われわれの考え方も効率と緊急性が優先され、落ち着かないものになった。

1882年にニーチェがタイプライターを購入し、タッチタイピングし始めると、友人たちは文体が固い、電文調になったのに気づいた。 ジョージ・メイソン大のジェイムズ・オールド教授は人間の脳細胞が成人後も柔軟に生成消滅をくり返し、再組織されると言っている。 今のわれわれは、コンピュータを使って考えるのではなく、コンピュータのように考える、になっているのではないか。 インターネットは、他の知的テクノロジーを包摂しつつある。

その頂点に立つのがグーグルだ。 グーグルは次から次へと情報を与え、リンクをたどらせることで広告収入を得るというビジネスモデルを採用している。 ソクラテスは書物が普及すると、人が自分の記憶を鍛えることを止め、真の知恵でなく、知恵の概念しかもたなくなると警告している。 インターネットは書物をさらに超えるレベルの技術革命だ。 その進行の中でわれわれが失う深い思考の価値は計り知れない。

私はHALが「ぼくは恐い」と幼児に戻るかのような無邪気な言葉を発した2001年のラストシーンが忘れられない。 われわれの知能は、しだいに人工知能の平板な世界にのみこまれていくのではなかろうか。

英語の翻訳をしていた頃、図書館で様々な辞典を引いてチェックする作業はネットの2-30分で終わるようになった。 その頃、私も、ネット中心の生活を送るようになり、ほとんど本らしい本を読まない年月を送った。 それは、著者の指摘するような、せっかちで、浅い思考にとどまる年月でもあった。 ネットには全てがある、それは確かだが、われわれはネットを使って頭を使わない生活を中心においてはならないだろう。

家庭教師の本田

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