小林秀雄|広島市 家庭教師の本田

小林秀雄の作品

読者

サルトルは、「ロンリー・ハート」という評判の作品が面白いので翻訳権を得ようとした。 ところが取れた権利は同じ「ロンリー・ハート」でも作者が違い、なお調査すると、数年前に交通事故で死んだとわかった。 (2019/11)

歴史

世間は、止むを得ず変り者であるような変り者しか決して許さない。 だが、そういう巧まずして変り者であるような変り者は、世間は、はっきり許す。 愛しさえする。

ボードレールは、個性を一手に背負ったような詩人だが、彼が当時の画家たちの個性発揮の競争に苦り切っていたのがわかる。 新工夫を満喫した「解放された職人」は模倣しつつ独創に達する道を知らず、独創を言いながら模倣ばかりしている。(2019/11)

漫画

そういう、人を笑う悪意からも、人から笑われる警戒心からも解放された、飾り気のない肯定的な笑いを、誰と頒ったらよいか。 誰が一緒に笑ってくれるだろうか。 子供である。(2019/11)

見物人

死の街という在り来りの言葉が口に出かかるが、死の街は、見物人で、見物人だけで、雑踏していた。(2019/11)

鉄斎I

「万巻の書を読み千里の道を行かずんば画祖となるべからず」(董其昌)の戒律を実践。

暇さえあれば読書し、旅行した。 歴史を精読することによって養われた祖国に対する愛情を、実物を見ることによって確かめずにはいられなかった人。(2019/11)

誤解されっぱなしの「美」

・「永仁の壺」騒ぎは虚栄心とか商売とか真偽だけで、美とは何の関係もない。

・工芸は元々模倣の世界で、本物とにせ物の間には無数の段階がある。

・芸術家は何でも作れるという顔をしているし、鑑賞家も自分の評価次第で1万円とも50円とも言えると思っている。

・ぼくはレコードファンが焼き物好きとよく似ていると思っている。(2019/11)

歴史と文学

大正以降の日本文学は19世紀の西欧文学の強い影響下にあった。 西欧文学はこの時期、合理主義、社会主義、商業主義の波に乗り、残忍酷薄な批判、分析に満ちた毒々しいものになっていた。

「大日本史」の列伝には、さまざまな人々の群れが生き生きと描かれている。 これに対し、現代の作家は同時代の人間を描写しながら、人物はその人物らしいことをはっきり言いもせず、自分の星も見えていない。

ぼくは、日本人の書いた歴史のうちで「神皇正統記」がいちばん立派な歴史だと思う。

こんなことをズバリという小林秀雄が好きだ。(2019/11)

文学と自分

呼びだしの声まつほかに今の世に待つべき事の無かりけるかな(吉田松陰の遺書『留魂録』)

戦時中の講演だけにやや難解。(2019/11)

西行

「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」は三夕中随一だ。

「惜しむとて惜しまれぬべきこの世かは身を捨ててこそ身をも助けめ」は失意でなく覚悟の出家を表す。

「年たけてまたこゆべしと思ひきや命なりけりさよの中山」は西行の老境が初志に通じることを示す。

当初「捨てたれど隠れて住まぬ人になればなほ世にあるに似たるなりけり」の如き思想歌から始まる。 つづいて「世をすつる人はまことにすつるかはすてぬ人こそすつるなりけれ」

「世の中を思へばなべて散る花のわが身をさてもいづちかもせむ」の深い悩み。 ついで「あはれあはれこの世はよしやさもあらばあれ来む世もかくや苦しかるべき」

自然吟「都にて月をあはれと思ひしは数にもあらぬすさびなりけり」

「うなゐ児がすさみにならす麦笛のこゑに驚く夏の昼臥」は良寛に似る。

詞書に西行の日常生活の断片が見られる。

「風になびく富士の煙の空にきえて行方も知らぬわが思ひかな」が西行の自賛歌。

西行は孤独を徹底的に見つめた歌人であるという。 そんな西行の歌は、確かに公家の歌よりずっと深みを感じる。(2019/11)

無常といふ事

作者は一言芳談抄という文章から中世の無常観について語り出す。 現在に比べ、歴史はいかに動かしがたく映るか。 死者は生者にくらべ、いかに美しく動じない姿をしているか。

いろんなことを考えさせられる。 10年以上前に読んだ作品を読み返すのも、死者を思い出すのに似たところがある。

セザンヌ

ボードレールの『腐肉』という詩をセザンヌは晩年まで暗誦していたという。

なぜ、人々は、自分の顔を描かれたとき、画家の勝手なやり方に憤慨し、変形された風景には寛大なのだろうか。

独創的な世界が現れるにつれて、セザンヌはいよいよ人間嫌いになり、友達を避け、田舎の孤独な仕事にふけるようになった。

ある人が「神を信じられるか」と訊いたところセザンヌは「何と馬鹿げた。信じなければ絵は描けまいさ」と答えた。

セザンヌは無表情の奥に人間の真実を見ようとして描いたというのが面白い。

私の人生観

太田道灌の父が若い驕慢を戒めようと「驕れる人も久しからず」と書いたところ「驕らざる人も久しからず」と返した。

阿含経で、ある人が釈迦にこの世は無常か、有限か、生命とはなどと訊いたところ、釈迦は自分はそういう問題には答えないと言った。 お前は毒矢に当たっているのに、医者に毒矢の本質についての答えを求めるようなものだ、自分は毒矢を抜くことだけを教えると。

所謂進歩主義者は、最初から間違ったキイを叩く、というよりピアノが違っている。 彼はcultureというピアノを叩くのではなくtechniqueというピアノを叩いている(作り上げたものでなく科学に由来する加工の方)。

宮本武蔵の独行道の一条に「我事に於て後悔せず」という言葉がある。 武蔵は、立会の際、観の目強く、見の目弱く見るべし、と言う(見は普通の目、観は相手の存在を全体的に知覚する目)。

ベルグソンは晩年の著作で、これからは大芸術家は生まれるかもしれないが、大政治家というものは生まれまいと言った。 政治の仕事が複雑なものになり、その膨大な材料に対する正確な知識と判断はどんな政治専門家の手にもあまるからである。

美は人を沈黙させる。 どんな芸術も、その一種感動にみちた沈黙によって生きながらえてきた。

近代の音楽や絵や詩の形式は目まぐるしい変化を重ねたが、小説という形式はバルザック以来ほとんど動かないように見える。 小説に作者の人生観というvisionが現れるのはよほど難しいらしい。

武蔵は出来るだけ諸芸にさわろうと努め「万事に於いて我に師匠なし」という処にまでいった。

ゴッホ

「自然が実に美しい近頃、時々、僕は恐ろしい様な透視力に見舞われる。 僕はもう自分を意識しない。 絵は、まるで夢の中にいる様な具合に、僕の処へやって来る」

ゴッホは27才まで画家になろうと思ったことはなかった。 画家生活といっても、弟を除いた誰も彼を画家と認めなかったし、その画家生活も10年、その3分の2は独学による暗中模索だった。

12時間休みなしに描き、12時間前後不覚に眠りこむという日が続いた。

中原中也

狂死の直前、作者と中原は鎌倉近辺で、ともに妻帯し、行き来しあう間柄に戻っていた。 作者は「詩人を理解するという事は、詩ではなく、生れ乍らの詩人の肉体を理解するという事は、何と辛い想いだろう」と。 中原に会った時から、作者はこの感情を味わってきたが、どうしても慣れることができなかった。

中原の心の中には、自身の手にもあまる実に深い悲しみがあって、彼はそれを「十二の冬に見た港の汽笛の湯気」とか、 「ホラホラ、これが僕の骨だ」とか言ってみたりした。 彼は、他の人間が世を渡るにつれて身につける自己防御術をまるで知らなかった。 彼には、自分の一番秘密なものを人々とわかち合いたい欲求だけが強かった。 人々の談笑の中に「悲しい男」が現れ、双方が傷ついた。 善意ある人々の心に嫌悪が生まれ、彼の優しい魂の中に怒りが生じた。 彼は一人になり、救いを悔恨のうちに求める。 汚れちまった悲しみに……これが、彼の変わらぬ詩の動機だ。 彼は詩人というより寧ろ告白者だ。

初め、小林秀雄氏一流の、過剰に高踏な決めゼリフというものが出てくる。 病的な心理の吐露が文学となった一例。

信ずることと知ること

・ベルグソンは作者同様、超常現象というものを信じる立場の人だった。 それは、昨今の科学的理性と、二人の理性的なアプローチの仕方が違うからである。

・柳田国男は、茨木の布川のある祠の前で昼の空に星を見て危うく発狂しそうになったという(故郷七十年)。 木こりの子供が、ききんの年、斧を磨いて待っていて、これで私らを殺してと言い、彼は思わず首をはねたという(山の人生)。 その話を、小説ネタを探していた花袋にすると「余りに奇抜、深刻で、文学では扱えない」と言われたという。 問題は、話の真偽ではなく、それがもたらす感動にある。 伝説的で、簡潔な表現が、人の心を根底から動かすエネルギーを持っている。

・柳田はオバケの話が好きで、「妖怪談義」を出すが、最近は相手が悪くなったという。 オバケは科学によって、合理的な世界の表面からは消えたが、現代人の心の奥に逃げこんで、ひょっくりと顔を出す。

書くとは何かということを考えさせられる。

花見

講演旅行で東北の酒田に行ったとき、旅館の長押に中川一政述書という扁額があった。
み山木のその梢とも見えざりし桜は花にあらはれにけり 源頼政
馬上少年過 世平白髪多 残躯天所許 不楽復如何 伊達政宗
散り残る岸の山吹春ふかみ此ひと枝をあはれといはなむ 源実朝

武士の生涯と歌というのは、非常にすぐれた取り合わせだとわかる。

スランプ

スポーツも究めるとスランプというものが出てきて、それを脱するには待つしかない、と国鉄の豊田選手から聞いた。 文筆家の場合、精神と肉体は、精神と言葉に置き換えられる。 言葉という玉を正確に打つためにバットを振る。 しかも、スランプは常態で、それを脱するには着想が現れるのを待つしかない。

小林氏は肉体を言葉と置き換えているが、アランならやはり肉体というか、肉体と言葉の中間と言うのではないか。

感想

作者は母の死んだ数日後、大きな蛍が飛び、犬が吠え、子供らが火の玉だというのを聞いた。 その2ヶ月後、酔って水道橋のプラットフォームから落ちたが、怪我らしい怪我をしなくて済んだ。 母が助けてくれたと感じた。 ソクラテスは◯◯してはならぬというダイモンの声を長く聴き続けたが、弁明の終りに、今日は禁止の声がしなくなったと語る。 私はベルグソンの愛読者で最後の著作後の遺稿集などが出るのを待ったが、実は彼は生前の遺言で、一切の出版を禁じていたと知る。

自身の霊的な体験と、それにつながるソクラテスの体験、当時読んでいたベルグソンの生涯への思いをつづっている。 ソクラテスまでは霊的なものという共通項があるが、ベルグソンはソクラテスとかろうじてつながる程度。 ここから、作者は、題名を「感想」とし、随筆ですと断ったのだろう。

スポーツ

若い頃から好きだった野球、学生の頃に遭難しかけた登山、深田久弥氏に教えられたスキー、最近のゴルフと話が進む。 ヘーゲンという名人がゴルフの理論書を書いたとたんにスランプに陥った事実から肉体と頭脳の働きの一致がスポーツの醍醐味となる。 ファンはともかく、スポーツ選手は一種の純潔をもって精神の努力を重ね、その成果を実感することを目指している。

後半はやや理想論に走りすぎのきらいがあるが、ヘーゲンの嘆きは正にスポーツの真髄である。

お月見

日本人が京の嵯峨野で一杯やっていた時、偶然満月が上ってきて、一座の雰囲気が月見気分に一新された。 それが、たまたまいたスイスの客人には不可解だった。 そこから、作者は、民族の伝統的文化、自然への感受性というものは皮膚の色同様容易に変わらないという考えに至る。

洋楽ばかり聴いていたはずの吉田秀和氏も、西洋人と同じようにベートーベンは聴けないと言っている。 同様のことは、いろんなところで、いろんな人が言っている。

家庭教師の本田

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