前田愛|広島市 家庭教師の本田

前田愛の作品

文学テクスト入門

・江戸後期の戯作は歌舞伎の紙上の複製であり、絵入りの小説といわれる草双紙は歌舞伎のダイジェスト版だった。 寄席の話芸の複製としての滑稽本、講釈の複製としての読本と考えることもできる。 いずれにせよ、文学より演劇の占めるスペースが大きかった。

・馬琴の長編は、結局彼が読破した大量の書物からの引用の上に立った想像だった。 『八犬伝』は里見家の興廃を記した『里見軍記』をもとに『水滸伝』の多量の引用で成り立っている。

・ルイス・キャロル『アリス』のチェシャ猫の、不合理な論理。 「気違いでない犬は怒るとうなり、うれしいとしっぽを振る。僕はうれしいとうなり、怒るとしっぽを振る。だから気違いなんだ」

・その読者の読みを指示する指標をコードと名付けたい。 題名、作者名、序文、エピグラム、作中人物などがそれ。

・立身出世型、破滅型というコードもある。

・物語コードからだけでは隠れてしまうトレンチ対ヴィラ・ロサ、イエス対ガール、戦争対愛、マルス対ヴィーナスという文化コードを引き出す。

・『舞姫』というテキストを、鴎外の伝記というコンテクストから読み解く読み方がある。

・クリステヴァによるとインターテクスチュアリティという概念はテクスト間の相互作用を注目することだ。 すべてのテクストは先行するテクストからの引用であり、引用されたもののモザイクであり、変形である。 芥川の『杜子春』では、失敗した杜子春が、明らかに桃源郷を思わせる、鉄冠老人のもつ泰山の家へ去ることになる。 大正中期の小市民の視線でいえば、ささやかな郊外の文化住宅というユートピアを引用しているのではないか。

・脆弱性をもつ存在であるゆえに、大人が感知できない他界への鋭敏な知覚をもつ子供を『竜潭譚』で鏡花は描く。 文学作品は、支配的意味システムから欠落した部分を描くといえる。

いくつかの示唆がある。(2019/11)

家庭教師の本田

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