私の文章修業|広島市 家庭教師の本田

私の文章修業

私の文章修業

・書き直しは、できるだけ意地の悪い相手があら探しをするといけないと思って読み直すのがよい(坪井忠二)

・日大芸術科に講師として来ていた伊藤整の「創作指導」で、彼はトルストイやゴーゴリ、ジョイスの作品を学生に読みきかせ、 「ここがうまい」とか「ここが急所だな」とひとりで笑ったり、悦に入ったりしていた(金達寿)。

・長年文章を書いてきながら、私は今もわずかの、ちょっとしたことをまとめるのに書いては消しをくり返している。 文章は慣れてしまえば書きやすいということはない(佐多稲子)。

・集計用紙で物を書いたのは、街をうろつき回ってジャズを聴いたり、羽田で貨物の積み下ろしをやっていたりしても書けたから。 ジャズを聴いていた頃お文章はやけに長く、肉体労働してからの文章は短い。 「岬」を書いた頃は、組合を作って会社をやめ、倉庫に働きに行った頃だが、書く場所は喫茶店ばかり。 「枯木灘」は家で書いたが、やはり集計用紙。 私の非道な振る舞いに、女房子供や親たちが出ていった後、 「岬」が芥川賞をとって念願のステレオを買った頃から新聞社の二百字詰原稿用紙に優しい万年筆で書くようになった(中上健次)。

・青森から出てきたばかりの寺山修司(信)と松竹の新人スター九条映子(ヨシコ)が交わす即興劇。 信がクリーニング屋をやめようかと相談する場面。 「どう思う?」間髪を入れず彼女は答えた。「靴落ちるわよ、靴」。それから映子は髪をかきわけ、鼻をすすって言った。 「そうねえ。……だけど」(倉本聰) ・都電が轟然と通過する中、「(小さく)結婚しよう」「え?」(耳を寄せる)「(耳もとへ)結婚しよう」「……」(倉本聰)

・映画は試写室の暗闇でシークエンスの細かいショットまでメモし、その後最初から最後までイメージを復習してから書いた。 探偵小説は忘れないようハードカバーの余白に書き込みをした。 ・ジャズも同じで、40分近いレコードを一晩中くり返し聴いて、音としてのイメージが何となく浮かんでくるまで書けない(植草甚一)。

週刊朝日に1年間連載された作品を1冊にまとめたもの。 上記作者以外に、丸谷才一、高峰秀子、清水幾太郎、円地文子、新藤兼人、和田誠、団伊玖磨、田村隆一、飯田善国、武田百合子、 北杜夫、佐藤忠男、吉田秀和、開高健、中村武志、日高敏隆、小川国夫、東海林さだお、倉橋由美子、山口瞳、堀淳一、宇野千代、 尾崎一雄、大岡信、森崎和江、山下洋輔、吉行淳之介、江國滋、ドナルド・キーン、梅原猛、野見山暁治、渋沢龍彦、つかこうへい、 田中美知太郎、芥川比呂志、石原慎太郎、殿山泰司、河上徹太郎、沢木耕太郎、戸板康二、大岡昇平、大野晋、中山千夏、三善晃、 井上靖、池田満寿夫の各氏が取り上げられている。 名文家に、特別な修業はしてこなかった、という人が結構いる。

家庭教師の本田

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